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Who Wants To Be Bilingual

 

外国語を学んでいると、外国語をアクセントもなく話せる人を見るとうらやましく思うことがある。

しかも、えてしてそういうバイリンガルは、両親が国際結婚だとか、外国に住んでいた帰国子女とか、幼少から外国語に触れていた人が多い。

なので、自分たちも、彼らと同じような境遇に生まれていれば、苦労もなしにバイリンガルになれたのにと、彼らの境遇をうらやんだりもする。

しかし、本当に環境さえよければ簡単にバイリンガルになれるのだろうか。

I ちゃんは、台湾で生まれ、日本で育ち、アメリカで大学、大学院に通、日本語、英語、中国語が話せるトリリンガルだ。日本語、中国語を完璧にこなし、英語もネイティブ並みに話す。

彼女が、両親とともに台湾から日本にやって来たのは彼女が8才の時。それまで台湾語で育った彼女は、日本に来てすぐの頃は当然ながら日本語がまったくしゃべれなかった。

それでも、半年もすれば、どうやってできるようになったかすら覚えていないが、自然に日本語が分かるようになったという。
やはり、まだ幼い時期だったので、自然に言語を覚える年だったからだろう。

「ほら、やっぱり境遇が恵まれていたからバイリンガルになったんだ」

と思うかも知れないが、逆にこの時期、使わなくなった台湾語はじょじょに忘れていった。つまり、境遇によって、必要となった日本語は話せるようになったが、別にバイリンガルになれたわけではない。

彼女が中国語を話せるようになったのは、彼女が19才の時にアメリカに来てからである。

ひとつはっきりさせておくが、中国語の標準語とされるマンダリンと台湾語は別物である。台湾語は中国語の1つだが、発音がまったく違うので、両者は別の言語と考えてよい。(以下、中国語とはマンダリンを指す)

ちなみに、今では台湾でも、ニュースなどのテレビ放送や、公の場では、台湾語ではなく、中国語が使われている。

さて、Iちゃんは、アメリカに来るまで、家では両親(特に母親)が台湾語で話すので、ある程度、台湾語の単語は分かったらしいが、中国語に触れるのは、アメリカに来てからが初めてである。

アメリカに来て、英語なら分かるが、どうして中国語までできるようになったのだろうか。周知の事実だが、中国語は世界で一番多くの人が話す言語だ。

さまざまな人種が混じり合うアメリカに来て、初めて中国語に接する機会が増えた彼女は、もともと台湾人であることを強く再認識して、新たに英語だけでなく、母国語としての中国語を学ぶ決意をしたのである。

台湾語と中国語が違うといっても、文字にすると同じであったり、多少の共通点はあるので、台湾語が少し分かる彼女にって、多少恵まれた点があったと言えるかも知れない。

しかし、中国語は日本語にない発音が多く、日本人には発音がかなり難いので、彼女も、マンダリンを話す友人たちと会話をして、何度も何度も発音を直されたという。

そして、そういった中国語を話す仲間とたくさん時間を過ごすことによって、中国語を習得していった。これは、我々が外国語を学ぶのと何ら変わらない。

きちんと努力をした報いとして、中国語が話せるようになっただけで、彼女の環境が恵まれていたわけではない。

一方、Rちゃんが日本からパラグアイに移ったのは、彼女が1才の時だった。彼女は、日本語よりもスペイン語を先に話せるようになった。16才までパラグアイで生活し、高校は日本の高校に通った。

高校卒業後にアメリカに渡り、現在、カリフォルニア州立大学でビジネスを専攻し、スペイン語、日本語、英語に堪能だ。

彼女の場合は、小中を現地校で過ごしたので、スペイン語が彼女にとっての第一言語であった。親が厳しかったらしく、家の中では日本語を使うことを強請されていたらしいが、外に出ると、日本語を使うことはまずなかった。

とくに日本語の表記は、スペイン語や英語などアルファベットを使う言語とはかけ離れているし、ひらがな、カタカナ、漢字が混在するので、学ぶのは容易ではない。

おまけに、友達や周りの人間は、全員、スペイン語。つまり、必要性は皆無の状況で、難解な日本語を勉強することはたんなる苦痛にしか過ぎなかったと彼女は言う。これが本当に恵まれた環境と言えるだろうか。

実際、彼女の場合、パラグアイの二世の中でももっとも日本語ができたのが彼女で、周りの二世はほとんどがまったくしゃべれないか、片言ぐらいにしか日本語はできなかったという。

それでも彼女は、日本人なので、自分の意志で日本語をもっと学びたいと思い、高校は日本に行くことを自分で選択し、日本語を完璧なものにした。

環境が不利になる例をもうひとつ挙げてみよう。
I ちゃんは日本に移ってすぐの頃、家では台湾語を使っていた。しかし、すぐに日本語に慣れたので、徐々に台湾語は使うなくなっていった。

彼女の父親も仕事柄、日本語を使う回数が日々増えていったが、専業主婦の母親は、それほど日本語を使う機会がなく、彼女が高校にあがる頃でも、よく台湾語を使っていたそうだ。

I ちゃんも片言には母親の台湾語を理解できが、日本語環境で育った彼女は、あまり自ら進んで使うことはなく、特に友達が遊びに来たときには、絶対に台湾語では話さなかったという。

なぜなら、彼女は外国語をしゃべることによって、友達から自分が外国人だと思われることを避けたかったのだ。そして、もともとの母国語である台湾語を使わない、また理解すらもできないようなふりをする必要があったのだ。

また、意外に苦労をするのが、アクセント(訛り)がないということ。我々は日本語訛りもなく英語が話せると、さもすばらしいことのように思ったりするが、アクセントがないことで逆に苦労することもある。

Rちゃんは、小さい頃から、それなりの会話を日本語で親としてきたので、日本来てすぐの頃から、外国語訛りのない日本語を話すことができた。

だからと言って、ほとんど独学の彼女に高校生なみのボキャブラリーはなく、早口で話されると、聞き取りもできなかったので、日本に来たばかりの頃はあまり会話もままならなかったらしい。

それでも、アクセントはないし、容姿も日本人なので、相手は当然、彼女が日本語を話せると誤解するが、話してみると、会話がうまく続かない。

事情の分からない相手にとって、時として彼女は、たんに「頭が悪い」と映るようで、そう思われることが、すごく苦痛だったと話している。

とくに電話の応対や、来客など見知らぬ人と話すのは、嫌だったので、わざと日本語が話せない振りをすることがあったと言う。

最後に2人が不利な点として挙げていたのは、ボキャブラリー不足である。

普段の会話にはなんの支障もないが、中国語で教育を受けたことのないI ちゃんは、アカデミックな内容を中国語で話すのはあまり得意ではない。

それに中国語は、四字熟語や古い言い回しをよく使うそうで、それが複雑に組み合わされて表現をされると、戸惑うことがあるそうだ。

Rちゃんは、中学以降、パラグアイを出てしまい、スペイン語を使う機会がめっきり減ってしまった。

彼女は自分自身、スペイン語のボキャブラリーは中学レベルだと分析する。だから、I ちゃん同様、アカデミックな内容の会話になると、英語か日本語で話すことが、一番楽だという。

話せる言語のボキャブラリーのレベルを揃えておくためには、常にすべての言語に触れる必要があるので、彼女たちにとってもそのレベルを一定に保つのはそれほど容易なことではないのだ。

以上のように、海外で生まれた、または幼少期に暮らすことが、必ずしも境遇が恵まれていたとは言えないし、また海外に暮らすだけで誰もが簡単にバイリンガルになれるわけではない。

実際、アメリカでも、多くの日系二世がいるが、両言語とも完璧にこなせるバイリンガルの人間は驚くほど少ない。たまに出会う、スーパーバイリンガルなどは、まれな成功例に過ぎないのだ。

境遇が良かったから、バイリンガルになれるというのは大きな間違いである。結局、語学の習得で大事なのは、本人の努力。それは我々が外国語を学習するのとなんの違いもない。

使い古された言い回しをすれば、「天才とは1%のインスピレーションと99%の努力である by T. Edison」ということですな。
−まぁ、この99%をいかに楽するのか、というのが僕の課題なんだけどね。

(ペーパー用に書いたので、少し脚色してます。なので、I ちゃん、R ちゃん、事実と違うとか
  細かいツッコミは入れないように)

 

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