
My Language Learning Experience
宿題で、自分の語学学習経験、語学教授経験をかけというので、せっかくなので、アップしてみよう。
もともと勉強は好きではなかったので、僕の語学習得は、かなり変わっている。英語に初めて触れてのは、中学1年生、12歳の時であり、英語をまがいなりにも話せるようになったのは、語学留学をした21歳のとき。
その後、英語を必要とする仕事に就職して、そのことが、英語を教えたい、英語教師を育てたいという思いとなり、現在、また留学して、英語教授法を学ぶことにつながっている。この過程を詳しく順を追って説明していこう。
当然のことながら、子供の頃は勉強が嫌いであった。できはよかったけどね(←いやなやつ)。
そんな僕でも、中学にあがり、初めて違う言語、いわゆる英語に接することは、楽しみであり、ひとたび学習をはじめれば、英語をぺらぺらに話せるようになり、また今までは、まったく分からなかった洋画や、セサミストリートが分かるようになるのかと思うと、早く英語の勉強をしたくて、たまらなかった。
ところがである。英語の学習と言っても、やることは、単語を覚えて、ややこしい文法を覚え、教科書を丸暗記。はたまた、さらに難解な、発音記号などと言うものまででてきて、パズルのように、問題を解いていく。これでは、他の教科と何ら変わらないではないか。
そして、幼心にも、こんなことをしていては、一生かかっても、英語が話せるようにならないし、洋画が理解できるようになるわけがないことは、容易に分かった。
そこで僕が次に取った行動は実に単純であった。
英語の勉強を止めてしまったのだ。
こんな勉強をしても単なる時間の無駄だと思ったからである。
それでも、高校入試、大学入試というものがあるので、合格ができればよい程度には勉強をしたが、おかげで、学校の成績はひどいものであった。
そこから、紆余曲折をしながら、英語を学ぶのであるが、一番、僕の語学学習に影響があったのは、語学留学したことと、出版社に就職したことであろう。
とにかく、日本の英語教育を否定してしまった僕は、21のときに英語を学ぶために、アメリカに来てしまった。その大きな理由として、日本では英語は日本語に訳さないと理解できないみたいな考えがあったのに対し、英語は英語で理解できるはずだと思っていたからである。
そうでなければ、日本語の分からないアメリカ人が、英語を話せるはずがない。そんなわけはないので、では、どうすれば、英語を英語で考えられるのかを実践するために、アメリカに来たのである。
すると、語学学校に入ってみると、リスニング、スピーキングという日本にはあまりなかった授業があるものの、その中で、あろう事か文法を学ばなくてはいけないではないか。
文法嫌いの僕は、困ったことになったと思ったが、授業はすべて英語でされるわけで、少なくても英語を英語で考えていくことになるので、若干の抵抗はあったものの、受けいることができた。
おまけに、まったく英語がしゃべれなかった僕は、なんとしても英語を話せるようにならないと、ここは田舎町だったので、英語がなくては生活もままならないので、しゃにむに勉強をした。
おかげで、いい成績を収めることができ、1年で卒業する予定が、夏と秋で卒業するまでにいたり、成績が一番伸びたと言うことで、奨学金までもらってしまった。
学校で学んだこととしては、実践的なノートの取り方などが、あとで非常に役に立ったが、会話が上達したのは、conversation partner の存在が大きかった。
2人いたが、2人とも酒飲みだったので、そのどちらともすごく仲良くなり、週末には、いつもバーに出かけて、会話をしていた。
そして、年が明ける前には、最初に比べるとかなり会話が上達したいた。
とりあえずこの留学期間中は、まず英語ができなければ、どうしようもないというせっぱ詰まった状況で、ひたすら勉強をしたので、モチベーションは非常に高く、郷に入りては郷に従えと思っていたので、文化的な違いもすんなりと受け入れられた。
また、日本から高い金を払ってきているので、勉強しなくては何の意味もないという思いもあり、真面目に勉強した。
こういうかなり恵まれた状況だったので、基本的にオランウータン(怠け者)な僕でも、おかげで1年で、かなり英語をマスターすることができたのだ。
しかし、帰国してしまうと、英語を使う機会がなくなり、言語というものは、使っていなければ、すぐに忘れていくものだということを思い知らされた。
とくに、実家は、田舎だったので、英語を話す人などほとんどおらず、英語に接する機会と言えば、映画を見るときだけ。それも、どんどんと字幕に頼っていくようになった。
せっかく学んだ英語を忘れてしまうのはもったいないと思った僕は、就職をするときに、英語が使える仕事につきたいと考えた。でないと、学んだ英語が水の泡になってしまってはもったいない。
そして、就職面接に、二日酔いで2時間近く遅刻という失態を犯すも、運良く就職し、出版社で働くことになった。この出版社では、メインに映画のシナリオ本を出版していて、英語と日本語の対訳で、分かりにくい表現などには、注釈をつけ、映画を使って英語が勉強できるようにしたものである。
映画好きの僕としては、映画も英語も両方触れられる最高の仕事であった。ここで、僕は1日の大半を、映画のセリフを聞き、日本語に訳す、もしくは、著者が翻訳したものを、チェックすると言った仕事していた。
そして、たまには英語で、同僚のネイティブに分からないことを尋ねたりと、英語を使っていた。
しかし、英語を聞いている時間は、結構あるものの、チェックするのは日本語なので、英語を聞いても考えるのは日本語が多く、英語の上達というよりも、英語を聞いてよりいい日本語を見つけるという別のスキルを磨いていたような気がする。
また、英語を話す機会も、日本にいるわけなので、それほど多くなく、スピーキング力は、アメリカにいた頃よりも遙かに落ちていった。
このときに、映画を使って英語を教えたことが少しあるが、仕事が忙しく、まともな準備もできない中では、納得のいく授業などできるはずもなく、また英語が話せることと教えることはまったく別物だと思い知らされたものである。
また、映画は英語を教える題材としていいというアイデアは、かなりあって、多くの英語教師が、当社の本をよく使っており、その関係で、僕も英語の教師と会う機会が、たくさんあった。
自分が、英語を学んだ経験から、それなりにアイデアはどんどん出るものの、しょせん出版社の人間の言うことなど、まともには、聞いてくれないし、僕としても、英語教育に関しての深い知識もないので、英語テキストの作成などに携わりながら、苦い思いをいつもしていた。
もっと英語を勉強したいという思いと、僕のアイデアどこまで通じるのか見てみたかったし、なら、もっと英語を教える方法の勉強をしてみようと思い、再び、アメリカに来ることになったのである。
今回は、すでに英語をある程度話せるという自信があったのだが、ライティングで、まずは打ちのめされた。以前は、ESLでのライティングぐらいしかまともに経験していなかったので、分からなかったが、ネイティブに混じってのライティングだと、まったくいい成績が取れないのである。
もっと英語を勉強したいという思いと、僕のアイデアどこまで通じるのか見てみたかったし、なら、もっと英語を教える方法の勉強をしてみようと思い、再び、アメリカに来ることになったのである。
今回は、すでに英語をある程度話せるという自信があったのだが、ライティングで、まずは打ちのめされた。以前は、ESLでのライティングぐらいしかまともに経験していなかったので、分からなかったが、ネイティブに混じってもライティングのクラスをとり、まったくいい成績が取れないのである。
原因は、ロジックが日本語のままなため、英語では、意味があやふやになったり、通じなかったりするのだ。おまけに、英語らしい表現など、分かるはずもなかった。
ここで、もうひとつの大きな転機があった。知り合いもおらず、どうにもならないので、チューターを雇い、書いたペーパーをすべてチェックしてもらったのだ。
彼女は、もともとUCLAの英語学部、卒業だけあって、ライティングは彼女の専門。僕のペーパーのどこが悪いのかをひとつひとつ指摘してくれる。
これが非常に役に立った。
まずは、英語の文章構成をきっちりとたたき込まれ、次に、この表現でも意味は通じるけど、こういった方が英語らしくなるといったことも教えてもらった。
こういったことは、いつまでたっても、完全に学べるものではないので、まだまだ、完璧とはほど遠いが、それでも、2セメスターほど、彼女に習ったあとは、まともな文章が書けるようになった。
その後も、英語の本を読んだり、テレビを見たり、と日常レベルに置いて、現在も、ある程度の英語は勉強している。
結局、言語なんて、使わなければどんどん忘れていくので、英語教師を育てたいという道を選んだ僕にとって英語は、これからも継続して、少しずつ学んでいくことになるのだろう。
英語をこれから学びたいという人がいるなら、僕みたいなオランウータン(っていうか、オランウータンに失礼かも・・・)でも、できたんだから、あきらめずにがんばってね。