りゅうがくのページ
僕の留学の経過は、普通の人にはあまり参考にならないでしょう。入学許可をもらう前に渡米し、無理やり入学許可をもらうという暴挙に出たので。それでも少し何かの役たてばという思いと、こんなんだったんだなぁ、という僕の記録のために簡単にまとめてみました。とりあえず春休みを利用して大更新。気が向けば、もっと詳しくするかも・・・。(4/1/2000)
1. 留学のきっかけ
2. 学校選び
3. 留学準備
4. 渡米
5. ビザ取得
1.留学のきっかけ
自己紹介のページでも書いたように、仕事柄、英語教師に会う機会が多く、現在の英語教育を何とかしようとがんばっている先生方に接するうち、僕にも何か手伝えることがないのか、と思いだしたことがきっかけ。
それに、もともと英語を学ぶにはもっと効果的な(楽ができる)方法があると思い、それを納得のいくまで研究をしたかった。
2.学校選び
本当は、田舎の大学に行きたかった。田舎に行けば遊びの誘惑が少なく、勉強もよくするだろうし、学費、生活費の安いから。実際、前回に留学した Western Illinois University は超田舎。周りにあるのはトウモロコシ畑だけで、モールに行こうと思ったら、100マイルほど離れた隣町まで行く必要があった。しかし、勉強をするには最適の環境であったと思う。
しかし、今回は、映画会社との仕事の兼ね合いがあったので、どうしても LA 近辺で探す必要があった。そこで、留学する前の年(1998年)の9月に、一度、LA に来て候補の学校を見て回った。候補校は UCLA、UCI、CSU のどれか。
UCLA (University of California, Los Angeles)
日本でもおなじみのマンモス校。渡米前までは最有力候補だったが、12月の願書提出までに GRE の基準点(確か1800)が到底とれそうになかったこと。学校が僕にはあまりも都会にありすぎて、怖かったこと。学費が高かっこと。以上の点から断念。でも、Ph.Dは、現在の CSU ではオファーされていないので、Ph.D には、UCLA に行く可能性が高い。UCI(University of California, Irvine)
UCLA と同じ UC 系の大学。実際に行ってみると、緑に囲まれたキャンパスは、静かで最高の環境。むちゃくちゃ気に入って、ここしかないと思ったら、ここには TESOL(TESL) などのプログラムがなかった。(行く前に気づけって)CSU(California State University)
UC 系の大学より、少しレベルが下がるが、UC より学費が少し安い。UCLA に行ったときに渡された学部案内カタログにいくつか CSU の紹介がされていたので、そのいくつかに行ってみることにした。
某友人ナンシー(日系2世−英語ネイティブ)がオレンジ郡に住んでいたので、彼女の家の近くの Fullerton 校を最初に訪れた。そこで、TESOL のプログラム・ディレクターの Dr. Eyring と話をすると、彼女がすごくいい人で、すぐに彼女を気に入った。またDr. Eyring はUCLA で Ph.D を取得していて、プログラムも充実している(あとで聞くと CSU の中では CSULA に続いて、2番目ということ)。それに、LAよりも少し田舎なことも気に入り、この大学にすることに決定。
3.留学準備
CSUF はGREが要求されなかったので、必要なのは TOEFL(575)だけ。なので、特別留学のために何かをしたということはなかった。
あとは大学の成績、残高証明といったお決まりの書類。ところが日本では大学で、勉強をしなったので、成績(GPA)が基準の3.0に足らない。こんなところでツケが回ってくるとは思わなかった。
それでも Eyring と直接話したときに、その分、推薦状を3通と、エッセイで何とかなると言われていたので、とくにエッセイには力を入れた。これで、僕は何とかなったので、何か(例えば TOEFL の点数)が少し足らなくても、心意気があれば何とかなる(はず)。
とりあえず上記のものを全部揃えて、入学願書を提出。ちなみに願書はオンラインで提出し、それ以外の書類を郵送。これが1999年2月のこと。
しかし、ここからが大変。大学は経済学部だったため、大学院に入る前に、基礎となる英語や言語学のクラスなどをとる必要があり、秋から学校が始まる前に、それらの授業を取りたくて、夏(6月)に渡米することにした。
ところが、大学から連絡があったのは、4月になってから。それも大学の修了証と TOEFL のスコアが届いていないので、審査を進めることができないという。
大学の修了証なんて、出せなどとどこにも書いてなかったのに、と文句を言ってみてもはじまらない。急いで日本の大学に連絡して、送ってもらい、大学に送った。これが4月中旬のこと。
さすがに、これで結果が出るだろうと思って待ってみたが、また何の連絡もない。5月10日に、しびれを切らして連絡をしてみると、全部書類は揃って、すでに審査に入っているので、あとは結果待ちだと返事が返ってきた。
実は、あとで判明したのだが、僕が問い合わせたときには、まだ書類は審査に回っておらず、僕が連絡したその日に、審査に回された。ということは、僕が問い合わせをしなければ、もっと先送りにされていたのかも知れない・・・。
このように、こういった手続きは、アメリカはかなりいい加減。なので、おかしいと思ったら、何度も問い合わせるようにした方がいい。
僕の友人も合格通知が来ないので、あきらめていたけど、とりあえず学生課にどうなっているか聞きに行ったら、合格通知が埋もれた書類の中から見つかったという話もある。それも学校が始まって2週間もたったあとに・・・。
4.渡米
結局、5月中に結果は来ずに6月を迎え、学校からの入学許可もないまま渡米。ビザは観光で入った。
あとから知ったが、この状態でも学校探しのためで、ビザが降りたらしい。しかしそんなことも知らず、仕事も休職してしまったので、後戻りもできず、とりあえず行ってしまえ、ということで、アメリカに来てしまった。
目的は、むりやり合格通知を手に入れること、夏の授業を受けること。それに、秋からの生活に向け、家捜しなど生活の準備。
とりあえずは安モーテルに滞在しつつ、アパート探し。夫婦用の寮とかが完備されている大学もあるのだが、CSUFの寮は3人部屋しかなく、数も少ないので断念。そこで、大学近くのアパートを探したが、これが思ったより苦労した。
何よりも予想外だったのは、家賃が高い。どこを探しても700ドル(7万円ちょっと)ぐらいはするのだ。おまけに部屋のあきがない。あちこちに問い合わせてみるが、家賃が高すぎるか、あきがないかのどちらか。
結局、エイブ○みたいなアパートを探してくれるところに行って、空き部屋を探してもらった。ちなみにアメリカでは不動産とかアパートは大家や家主が、こういう業者にお金を払うので、僕たちは手数料を取られない。
600ドルは切りたいところだったが、そんなところはひとつもなく、720ドルの、少し小さめの1ベッドの部屋に入った。プールやジムもついて、きれいなアパートなのだが、そんなんいらんから家賃を安くしてくれ〜。
また、着いてすぐに学校に僕の合否を聞きに行くが、学部に書類が回っていて審査中との返事。しかし、何度行っても同じ答えなので、業を煮やして、学部のオフィスに乗り込んで、直接交渉。
すると事務員の人が、書類は来ているので、一度、ディレクターの Dr. Eyring (僕が前に話した人)と話をしておくから、来週もう一度来てくれと言う。そして、次の週に、オフィスを訪れたら、あっさり「合格です」の返事。
これも僕が行かなければ、もっと返事がもらえなかったに違いない。だって、書類が渡ったのは5月のはず。それから6月の中旬まで、結果が出ずに、僕が行ったら、次の週にすぐ結果が出たというのは、どう考えても、ほったらかしにされていたとしか思えない。
これで、ようやくI-20(入学許可証みたいなもの)を発行してもらえることになった。ところが、アメリカの住所を知らせておいたのに、I-20 は日本に送られてしまっていた。な、なんで・・・。それで日本からまた送り返してもらい、I-20が手に入ったのは、7月中旬であった。これで晴れて学生ビザ(F1)を発行してもらえる身分になった。うーん長い道のりであった。
5.ビザ取得
何とか、I-20 を手に入れて帰国。しかし、帰ったのが7月31日で、学校が8月下旬に始まるため17日にアメリカに戻る予定にしたので、日本の滞在は3週間もない。しかも、夏の時期はビザが降りるのに時間がかかるということで、次回の出発までに、ビザが間に合うかどうか、かなり不安。
それでも、ここは一発勝負。「絶対にビザを取得する」の心意気で、書類を万全にして、留学目的のエッセイは、今後の英語教育に貢献していきたいという思いの旨を凝縮して詰め込んだ。
これだけ用意を完璧にしておけば、ビザは3日で降りると、何の根拠もないくせに豪語していたら、本当に3日で降りた。やっぱりね、などとのたまうも、本音は「ほっ」。
「留学に必要なのは、なによりも心意気」